NEXTSCAPE blog

株式会社ネクストスケープの社員による会社公式ブログです。ネスケラボでは、社員が日頃どのようなことに興味をもっているのか、仕事を通してどのような面白いことに取り組んでいるのかなど、会社や技術に関する情報をマイペースに紹介しています。

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幸せの断片について

みなさんこんにちは。システムインテグレーション事業本部の橋正です。
この記事は「NEXTSCAPE Advent Calendar 2024」の22日目です。

今年は何を書こうかな…と考えたのですが、約1年前に発生した能登地震を通じて、感じたことや、現在考えていることをお伝えしようと思いました。お付き合いください。

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両親が同郷であったため、子供の頃の旅行の思い出は夏休みの両親の故郷である能登ばかりでした。毎年そこで一週間ほど過ごしました。魚を釣ったり、サザエを取ったり、カニやセミ、カエルを捕まえたりしながら、いとこ達と過ごしました。本当に楽しかったので、海から上がって井戸水で身体を洗っている時、東京ではあまりお目にかからないシマシマの小さな蚊に背中をさんざん刺されてもヘッチャラでした。

海辺の村の畑を歩くと、知らないおばさんやおばあちゃんがやたらと話しかけてくれて、どこの子(≒誰の家の子)とよく訊かれました。小さな私にとってはその対応は面倒だったのですが、なんとなくこそばゆくて少し嬉しかったことを思い出します。

東京に帰る際は、祖父の寂しそうな笑顔や、祖母の涙を見るのが辛かったので、(なんでウチだけ東京なのかなぁ…)と毎年不満に思いながらクルマに乗りこむ際、鼻の奥がツンとしましたっけ。そんな育ち方をしたせいか、両親の故郷がボクにとってもそのまま故郷のように感じていましたし、その想いは生涯変わりません。

震源地から離れた故郷の波止場も地震により大きくひび割れていました

そんな奥能登は、元旦に大きな地震に見舞われました。東京でもかなり揺れたので、現地での被害を想像するのが怖いくらいでした。金沢に多く住む親戚は大方被害を免れましたが、奥能登に済む親戚の家は大小の差はありましたが、家屋を損壊しました。

被害の大きかった輪島市に小学校の校長をしていた叔父(母の弟)が住んでいました。輪島は朝市で有名な奥能登の古い観光地です。震源地に近かったため、風情のある古い木造家屋の街並みは瞬く間に崩れ去りました。正月であったため、叔父の家には長女である私の従妹が一人息子を連れて帰省していました。叔父の家も例外ではなく倒壊し、大変不運なことに従妹の息子さんは11歳の短い生涯を遂げてしまいました。

当時、町全体が瀕死な状態であった為、親類が手配してくれた金沢の火葬場まで彼を連れて行き、荼毘に付すこととなりました。私くらいの年齢になると、何度か悲しい場面に立ち会ったこともあるものですが、着の身着のままの若い母親が息子の棺の傍で、膝を崩して泣いている様子を目にするのは初めてであり、急遽金沢まで向かった私もかけられる言葉を持たず、ただ傍にいることしかできませんでした。

 

能登に行きたいとずっと思っていたのですが、仕事の関係上時間が取れませんでした。が、10月になって休暇を頂き、思い切って行ってきました。能登には親戚に限らず、たくさんの苦労を越えた上、生きていくための様々な選択をした人達がいました。災害の爪痕が残る輪島市もクルマで行けるようになっていたため、現場に伺い亡くなった彼に花を手向けることが出来ました。現場はまだ当時の残骸がそのままの状態で、ここからよく助かった人がいたなぁ…と感じた次第です。亡くなった彼は本当に優しい、親想いの良い子でした。(これからの人生で、やりたいことがいっぱいあったのだろうに…)献花の際、知らない内に私は彼の魂の無念さに思いを馳せていました。

倒壊(横転)した輪島市内のビル。10月になっても撤去作業が始まっていませんでした


もちろん人生の意味は長さで決まるものではありません。では幸せというか、充実した人生とは何か…と真剣に考えてみると、自分が本当にやりたいことをやり切る事にあるのではないのだろうか…その時強くそう感じました。自分の意志でより能動的に生きて、やりたいことの選択肢を広げて、やるべきことをやり切る人生を送りたい。彼の死を悼むとともに、今生きている私はそんなふうに思います。

でも、もう少し俯瞰して考えてみますと。(一度の人生を充実させるために)努力することや挑戦する事、そのひとつひとつの行程を踏むそのこと自体が幸せな人生の断片なのではないか…そんな考えに思い当たりました。だからこそ、若くして亡くなった彼も本当に幸せな人生を送ることが出来たのだと信じています。

悲しいお話を書いてしまいました。でも私にとって身近な存在であった彼から教えてもらった、これらのお話をしたいと考えました。私も年齢に抗って、努力を続けたいと思います。そして幸せの断片は、毎日の暮らしの中に確実に存在するということを確かめたいと思います。来年が良い年になることを信じながら。

能登の名所「白米千枚田(輪島市)」(2016年撮影)
発災後、田んぼは枯れてしまったのですが、現在は修復に向かった活動が継続されているそうです。